ラクマスを開発しました、浅海剛と申します。
はじめまして。
このページでは、弊社のサービス「ラクマス」の話からいったん外れます。
「あさみつよし」という人間について、少しでも知っていただきたいと思っております。
もし、私と言う人間に、少しでも興味を持っていただけるようでしたら、
このページを読んでいただけると嬉しく思います。
少しでも「どんな人間なのか」伝わるように書かせていただきます。
どうでもいい話も多いですが、よろしくお付き合いください。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
名前 | 浅海 剛(あさみ つよし) あだ名:つよピー、あっさむ |
生年月日 | 1979年(昭和54年) 8月24日生まれ ロマンチストなおとめ座 |
血液型 | O型 (仕事中はA型、プライベートはB型と良く間違えられる) |
趣味 | パラグライダー・スキューバダイビング・ツーリング(バイク) テレビゲーム、そして何より仕事!! |
本当の趣味 | 圧倒的に仕事、そしてテレビゲーム。パラグライダー、スキューバ、バイクも好きだけど金がかかる(笑) |
家族 | 2008年1月に最愛の妻と結婚。2010年9月には娘が誕生。 |
尊敬する人物 | 実の父親、孫正義、スティーブジョブズ、ナポレオン・ヒル。 (娘ができてから、実はかぁちゃんが一番すごいと思い始めてる。) |
イイところ | プログラミング得意、一人でWebサービス立ち上げ&運用までこなせる、楽天家、熱い意思、強い心 |
ダメなところ | KY、しゃべりすぎ、無用心、以外に小心な所も、、その他、もうたくさんありすぎて。。とにかく、まったく完璧じゃない普通の人間です。 |
これは、単なる奇麗事じゃない!
お客様を喜ばせることが、事業を成長させる最高の戦略だと、私は本気で思っています。
お客様の喜びは、事業にとって良い循環をもたらします。
売上向上、モチベーションアップ、事業関係者の幸せにつながり、
そして、最終的には事業の成長へつながります。
大学卒業と同時に、
某一部上場のシステム会社に入りシステム系の仕事をバリバリこなす。
気付けば、社会人1年目で、比較的大きな仕事の担当に任命され、
2年目には、チーム内で技術的な指南役に抜擢される。
給料も良く(月に40万を超えた)、チーム内での評価も上々。客先からも頼りにされ、調子付いていた。
『俺は天才だ!』限られた世界の小さな評価で、天狗になっていた私。
まさに「井の中の蛙大海を知らず」という言葉がピッタリだった。
『天才だ!』と勘違いしていた私は、
「天才なら何かできるはずだ!」と激しく勘違い。
何の計画も無しに会社を辞めてしまった。
無計画もいいところ。失敗して当たり前のスタート。どうしようもない馬鹿です(笑)
でも、、、その馬鹿さがなければ今はなかった!、、、かも知れない。
会社を辞めて暇をもてあましていた私は、更に愚行を重ねる。
、、どうやら「本物の馬鹿」です。
海外旅行にスキューバダイビングにパラグライダー、
、、、せめて、もう少し金のかからない遊びにすればよかった。。
ここで、会社員時代に稼いであまっていた軍資金を、全て食いつぶしてしまう。
私ほどの馬鹿でも、「そろそろやばくないか?」と感じはじめ、やっと動き出す。
しかし、"遊び"だけに神経を使っていた私の頭には
「ビジネスプラン」や「起業への信念」などなかった。
会社を辞めてもう半年。
何も成し遂げていないことに焦っていた私は、
ビジネスプランなどそっちのけで動き出すことにした。
「何かいい出会いは無いか?」と、交流会主催してみたり、
「NPOは社会的信用性が高い!」と、NPOを立ち上げようとしてみたり、
「よし!手持ちの武器でできるWeb事業をやろう!」と、Web作成業やってみたり。
しかし、どれもうまく行かない。やることなすこと、全て失敗!
たしかに、失敗したなりに得るものはあったのかも知れない。
それでも、、、失敗しすぎだろ。。。俺。。。
ということで、
親の経営する会社の一角(工場のスミッコ)に仮設オフィスを開く
夏には40度を越し、冬には隙間風で底冷えするその仮設オフィスは
お世辞にもよい環境とは言えなかったが、
気合の入らない自宅よりは数百倍マシだった。
しかし、そんな待遇を、会社で働いてくださっている社員の皆様方は、きっと不服に思われたに違いない。
「社長の息子だからってなんでも許されるのか?」
「公私混同はやめてくれよ!」
そんなことを言われるリスクを承知で、、、
父は何も持っていない私に手を貸してくれた。
親には、本当に頭が上がらない。
私の最も尊敬する人物は、
やはり、両親だ。
いつかは父に追いつき、追い越し、
安心できる程に成長することで恩返しにしたい。
親の社内のWeb改善業務を担当する傍ら、
自らの身命を賭してやり遂げるべき事業の中核を模索し始める
そしてやっと見つけたのが、
「営業さんや社長自らがホームページを更新できる仕組みを提供する」
ということだった。
『なんて斬新なんだ!誰も考え付いてないだろ!?こんなこと』
そう考えた私は、さっそく調査を開始した。
すると、驚いたことに、既にライバルは何社も居るようだった。
それでも、
「これからの世の中に絶対に必要だ!
これを成し遂げるのが、俺の天命なんだ!」
と信じた私は、ライバルが居るのも気にせず突き進む。
そう思った私は、
自社製のCMS(ホームページを更新したりするツール)開発に専念する。
もともとシステム系の技術があり、開発が大好きだった私は、水を得た魚のようにぐいぐい開発を進める。今思えば、よく一人で作ったなぁ。と自分で思うような大作が完成することになる。
縁起を担いで、年明けの瞬間
2007年1月1日 0時0分ちょうどに
「ホームページ作成ツール【ラクマス】」をスタート!!
あとは世間が動き出す1月4日を待つだけ。私の素晴らしいツールに注文が殺到するはず。
『これから忙しくなるぞ!』
そのときは本気でそう思っていた。
私は、
「良いツールを作れば、勝手に売れる」と信じていた。
が、、、、、、、
それは見事に裏切られる。
事業を深く理解した今思い返せばとっても当たり前のこと。
『作っただけで売れるわけが無い!!!』
今まで何度も失敗してきたが、今回はショックの大きさが桁違いだった。
それまでの失敗は、どこかで手を抜いていたり、心のどこかで「ダメ元でやってみるか」という打算的な考え方があった。
でも、ラクマスは違った。心の底から成功を信じ、打算など無く、全力投球した。
その結果が、、、売上げ0円。
『やはり俺ではこの程度なのか、、、?』
何度もくじけそうになる。
しかし、まだ心の奥底で強い火が燃えていた。
『まだだ!あきらめる前に、まだ俺にはやってないことがある!』
苦手でずっと避けていた営業・集客を、学んで実践するしかない!
脱技術者を決め、新たなステージに飛び込んだ瞬間だった。
「絶対に売れるはずだ!」そうして、足掻き続けること2ヶ月。
初の売上があがった!
『やった!やったぞ!!!!!』
『売れた!売れたんだ!!!!!!!』
気付けば、硬くこぶしを握り締め、
何度も何度もガッツポーズを繰り返していた。
すぐに両親に報告し、その当時の彼女(今の奥さん)に歓喜の報告を入れ、
友達にまで自慢したのを覚えている。
売上げで言えばたったの4万円。それであれだけハシャイダのだから、周りからは滑稽に見えたと思う。
それでも、あの4万円には、それだけの興奮と歓喜があった。
「これが、、、、自分で仕事するってことか。。。」
自分の選んだ道が最高の人生につながっている、そう思えた瞬間だった。
自分の事業で、初めてわかったことがある。
『なるほど。ホームページで売るのはこんなに大変なのか』
これをきっかけに、ホームページで売る大変さと大切さ、
成果を出すためには試行錯誤が欠かせないということ
そして、途中で諦めない勇気が必要だということを学んだ。
『これじゃ、お客さんも売上が上がる前に挫折しそうだ』
そう実感した私は、
ホームページの集客に迷ったお客さんに、
自分の知識を提供するようになる。
ぼちぼちお客さんも集まり、収入も安定化してきた。
『そろそろ、ちゃんとしたオフィスを構えよう』
ということで、オフィスを開く。
場所は、横浜の桜木町
一般的に見れば、狭くて古い安ビルの一角かも知れない。
それでも、仮設オフィスにこもっていた頃に比べれば、まるで別天地の天国のようなオフィス。
ここから、ラクマスの第二章が始まる。
私 浅海剛(あさみつよし)はこんな人間です。
少しでも、「生身の人間」として感じていただけたでしょうか?
もし、そう思ってくださったのなら、嬉しいです。